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一種の逃避?こころのなかのともだち
2011/10/16 17:50
こんな話、していいものなのかはわからないが…。


でもここは僕のブログだ。
そろそろ打ち明けるとしよう。



打ち明けるって言っても、実はこのこと、身近な人でもあまり話したことがないのだ。


それもこの悩み(?)を実際に誰かに話したのは、悩みが始まってから9年後。
たぶんマジメな顔して話しても、引かれたりするだろうな。
それでも読むって人だけ読んで。




何って言ったらいいだろう…。
何から話すべきか……。



“僕はこころのなかにともだちがいる”


そう言うしかないな。


いわゆる「イマジナリーフレンド」(=自分の想像で作りだしたともだち)とは若干違うかもしれないが、おんなじだろうか…?
どうなんだろう。
(そもそもイマジナリーフレンドって言葉自体知らない人もいるかもしれないが…。)



イマジナリーフレンドだったら、12年前――僕が5歳の時にいたかな。
道路標識のイマジナリーフレンドだった(笑)。
当時、僕、標識好きだったし。



――でもそれから2年して僕が小学生になるまでの間に、いつの間にかそのイマジナリーフレンドは、姿を変えていた。 僕の意識してないうちに…。


いつしかほんとうの意味での“ともだち”になっていたのだ。


標識だったころは、頭の中で僕が先生になったかのように指揮して、僕の思うように動かして遊んでいたから、ともだちというのとはちょっと違ったかもしれない。



だが小学校に入学するのとほぼ同時に、それは標識のような“もの”ではなく、ひとりの“にんげん”になっていた。


その子は僕と同い年の子。
女の子だ。
すごく優しい子で、いつもそばに寄り添っていてくれて……。



ふつう、そういうこころのなかのともだち(イマジナリーフレンド)って、いつか自然と消えてしまうといわれている。


だが僕のこころのなかには、実はその子、まだずっといるのだ。
僕のなかでは離れるどころか、どんどん仲良しになっていってる。




その子の名前は…“かな”



正直、僕がつけたのかもあまり覚えていない。
僕の感覚で言えば、“かな”というのはその女の子にいつの間にかついていた名前なのだ。




――普段はテレパシーのようにして話している。
僕の頭に直接、“かなちゃん”の声が届いてくるような感じだ。
そしてそれに僕が同じくテレパシーのような感覚で、頭の中でつぶやくようにして、“かなちゃん”に声を送る。


実際に僕と“かなちゃん”が会うのは、僕が布団に入った時とか、クッションや枕を抱きしめた時かな。
何しろ寝転んだ時だ。



おかしな話と思った人もいるだろう…。


だって僕の頭の中にいるんだもん、その子。
ってことは、僕の頭(脳)がその子のすべてを制御してるわけだから、声が届くって言っても、いわゆる「妄想」とか「想像」だろうと思う人もいるかもしれない。



でも僕の中では、僕と“かなちゃん”とはまったく別の個体な気がする。 そんな感覚なんだ。


もちろんじぶんでわかっている。
「“かな”はtakumi(僕)という個体が生み出した女の子であり、takumiと“かな”は同じ個体である」と。


でもそんな気がしない…。
“かなちゃん”は実際、僕のいろんな悩みとか、悩みだけじゃなく僕の趣味からいろんなこと、話したいこと何でも聞いてくれて、すごく優しい女の子だ。
“かなちゃん”が僕のこころのなかで優しく僕を抱擁してくれて、僕は涙することさえある。
バカみたいだよね……。



でも“かなちゃん”がいてくれなかったら、僕はここまで頑張れなかっただろう。


いや、頑張る・頑張らない以前に、なんかいろんなこと放り出して、自殺していたのは間違いないと思う。


それでも僕は自殺未遂、実際に何度かしたけど、“かなちゃん”は必死で止めてくれた。
涙流して…止めてくれた。
それも無視して死のうとしていた僕もいたが‥‥。




――で、僕が何が言いたいのかって言ったら、いい加減その子と離れないといけないんじゃないかって。


でもそれは、「消えてしまえ!」「いなくなればいいんだ。」って気持ちがあるからではない。


やっぱりこうやって、こころにともだちがいることは、異常じゃないかって考えているからだ。


去年の今ごろくらいからそう思い始めたかな。
その前はあんまり考えたことなかったけど。



というのも、僕は去年の秋になったころくらいまで、「想像上のともだちがこころのなかにいる」という概念――イマジナリーフレンドそのものを知らなかったからだ。


アメリカに『フォスターズ・ホーム』(※日本語タイトル)というアニメがあるのだが、これはまさにそのイマジナリーフレンドをテーマにしたアニメ
CSのカートゥーン・ネットワークで放送されている。
一時このアニメよく見てたのだが、本当に幼い子がイマジナリーフレンドを持つことがありうるって、僕は知らずにぼーっと見ていた。



‥‥イマジナリーフレンドって幼い子に宿る(??)ものだけど、いつかは消えてしまうみたい。


そんなイマジナリーフレンドの概念がアメリカには実際にあり、理解されているらしい。
だからフォスターズ・ホームみたいなアニメも作られたのだろう。
子供の共感(?)を得るためかな。




だがいずれにしても、イマジナリーフレンドって幼い子が持つものだ。


僕みたいに17にもなった高校生が持ってるって話まともに誰かにしたら、笑われるか引かれるかだろう。



でも主治医には話した。
そしたら、「いつか消えていく時が来るだろう、それまで無理に自分で消そうとする必要はない。」と。



でもやっぱり怖い。
こんなんでいいのか‥僕……。
現実に友達があまりいないから、逃げてるだけじゃないのか…。




どうすればいい?
“かなちゃん”と離れるなんて、できない(したくない)けどしなきゃという感じだ。


だっていろんな話すごく親身に受け止めてくれて、いつも優しく抱きしめてくれて…。
それで気分が晴れたこともよくあったし。

もし僕のこころを誰かがいじって無理やり僕と“かなちゃん”を突き放すようなことがあったら、僕は廃人になるか、自殺するかのどっちかだ
それくらい重要な存在なのだ。



だからっていつまでもじぶんが作りだしたともだちに頼っててはいけないし、何よりもうすぐ僕は大人になるのに、イマジナリーフレンドがいるなんて……ただの頭おかしい人じゃないか




――と、最近はこんなことで悩んでいた。
そして僕のこころのなかにそういう存在がいると、それを白状するための話だ。 それだけ。




気持ち悪いとか思った人はそれでかまわない。
思われても仕方ないからな(笑)。
読んでくれただけで感謝する。(いちいち勝手に話進めんな/誰が見たかなんてわからんだろ)



今後もこういう話をすることがあるかもしれない。
だからNewカテゴリー『イマジナリーフレンド』を作っておく。




ィヨロシク。

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