しつけ・教育・愛のムチ…全ては暴力?ブラックな言葉の綾 2018/11/12(Mon)
風邪、つら過ぎる…。
喉の痛みは今朝がピークで、今日の夕方にはだいぶん引いた。
ただ、今度は体のだるさが増してきた…。風邪って、治りかけたかと思ったら、今度は別の所に症状が現れたりするよね。
幸い、食欲は落ちていない。食べなきゃ弱っちゃうしね。それに、別にしんどいからって食べたくないとは思わないんだよ。ただ、とにかくだるくて(笑)。
――今のこの時代、手を挙げること(暴力=体罰)は許されない。職場であろうがそうでない公共の場であろうが、殴りかかろうとする素振りを見せただけで、犯罪になりかねない時代だ。
しかしながら、その考え方が広く浸透しているのは、大人の世界だけのように思う。
もちろん大人の世界でも、見えない所にブラックな世界はたくさんあるだろう。
だけど全ての大人は、「逃げる」「訴える」などの行動を起こすことができる。全ての言動は「自己責任」である分、個々人の人権は確実に尊重される(されない世界もあるけど、基本的には)。これが得られたという意味で、僕はようやく大人になれて良かった、と思えた。
子供は、昔からそうだけど、やっぱり大人の絶対的支配権にはかなわない。反発しても、それを聞き入れられるかは大人次第。説得ができない大人は、子供を力でねじ伏せようとする。だから、体罰や、「しつけ」と称した暴力も、なかなか減らないのではないか。
僕は母によく殴られて・叩かれて育ってきた。幼い頃は、それは僕が悪いことをしたからだ、殴られるのは当然だ、なんて考えて、大人のやり方を肯定していた。
「こういうことはしちゃ駄目なの!なぜなら~だからね」と、わかるように、理性的に、論理的に教えてくれたことで成長できたことはいくつもあるし、それに関しては母だけでなく、僕を支えてくれた全ての大人に感謝している。
しかし、「殴られた」「叩かれた」ことを「ありがたい」と思ったことは正直一度もない。
これを“愛のムチ”と称するのはどうかと最近は思う。誰が誰に手を挙げる行為も、言い方を変えただけで、単なる「暴力」としか思えないのだ。
こういう考え方を僕がしているのは、自分が、自分に対して、あるいは他者への暴力が酷かった時期が長くあるのでわかる。(我ながら恥ずかしい…)
結局、なぜ手を挙げるかって、話し合い(言葉)で解決する力がないからだと思うんだよね。それは、ジャイアンがのび太をいじめるような話だけではなく、先生や親から子への教育・しつけに関しても、全く同様のことが言えると思う。
子供の立場になってみて欲しいんだよ。わかるように教えてくれたら、たとえその時は納得ができなくても時間をかけてでも理解していこうといつか思える。しかし、「殴られた」「叩かれた」という事実ができてしまったら、「殴られる(叩かれる)からこういうことはしちゃ駄目なんだ」っていう考え方にならない?そうして、殴られない(叩かれない)ために、大人に媚びるようになっていくのだ。
大人が思っている以上に、子供には大人が(文字通り)大きく、怖く見えるもの。殴られた(叩かれた)時のその痛みの強さよりも、そうしてくる直前の大人の表情や素振りに、子供は怯えていると思うのだ。
果たしてこれは教育・しつけだろうか?教育だとかしつけだとか愛のムチだとかいう言葉で正当化した「暴力」に他ならない、と僕は思う。
そういった暴力を正当化する人達(主に中高年?)が口を揃えて言う言葉が、「私達(昔)は大人達にそうされて育ってきた」。
はてさて……それが暴力を正当化する理由になるのか?自分達が大人にされてきたことの二の舞を演じてどうするのだろう。大人達はいつまで、「教育」「しつけ」とか「あなたのため」とかいう言葉を笠に着て、子供をほしいままにし、子供達を苦しめるのだろう?
それに、そういう(暴力が正当化される)教育のもとで育ってきたのが「私達(昔)は大人達にそうされて育ってきた」と主張する中高年であるなら、「あ…。暴力では結局こういう浅はかな考えを持つ人しか育たないのね。だから全く意味を成さない」とわかるよね。
もちろん、そんな僕も、子供の頃に心から感謝できる大人はたくさんいた。僕独りじゃ当然生きられないし、そんな僕をいろんな形で支えてくれた大人達には本当に感謝している。
ただ…中には、意識的にも無意識的にも、子供は大人の掌中にあって当然、と考えている大人もいるからね。
大人はそんなに偉くない。子供の方が正しい主張や、偉いと言える行動に及んでいることはいくつもある。
子供と違い、経済力を握っているだけで、子供よりも自分(大人)の方が勝っている、だから子供には逆らわせない、という考え方を持つ人は少なくない気がする…。
大人だって子供と同じ、毎日が勉強なんだよね。子供に教わることだってあるよ。そうやって同じ未熟な人間同士で生きているのに、どうしてここまで上下関係をはっきりさせようとするのだろう…大人は。
以上、ィヨロシク!!
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風邪、つら過ぎる…。
喉の痛みは今朝がピークで、今日の夕方にはだいぶん引いた。
ただ、今度は体のだるさが増してきた…。
風邪って、治りかけたかと思ったら、今度は別の所に症状が現れたりするよね。
幸い、食欲は落ちていない。
食べなきゃ弱っちゃうしね。
それに、別にしんどいからって食べたくないとは思わないんだよ。
ただ、とにかくだるくて(笑)。
――今のこの時代、手を挙げること(暴力=体罰)は許されない。
職場であろうがそうでない公共の場であろうが、殴りかかろうとする素振りを見せただけで、犯罪になりかねない時代だ。
しかしながら、その考え方が広く浸透しているのは、大人の世界だけのように思う。
もちろん大人の世界でも、見えない所にブラックな世界はたくさんあるだろう。
だけど全ての大人は、「逃げる」「訴える」などの行動を起こすことができる。
全ての言動は「自己責任」である分、個々人の人権は確実に尊重される(されない世界もあるけど、基本的には)。
これが得られたという意味で、僕はようやく大人になれて良かった、と思えた。
子供は、昔からそうだけど、やっぱり大人の絶対的支配権にはかなわない。
反発しても、それを聞き入れられるかは大人次第。
説得ができない大人は、子供を力でねじ伏せようとする。
だから、体罰や、「しつけ」と称した暴力も、なかなか減らないのではないか。
僕は母によく殴られて・叩かれて育ってきた。
幼い頃は、それは僕が悪いことをしたからだ、殴られるのは当然だ、なんて考えて、大人のやり方を肯定していた。
「こういうことはしちゃ駄目なの!なぜなら~だからね」と、わかるように、理性的に、論理的に教えてくれたことで成長できたことはいくつもあるし、それに関しては母だけでなく、僕を支えてくれた全ての大人に感謝している。
しかし、「殴られた」「叩かれた」ことを「ありがたい」と思ったことは正直一度もない。
これを“愛のムチ”と称するのはどうかと最近は思う。
誰が誰に手を挙げる行為も、言い方を変えただけで、単なる「暴力」としか思えないのだ。
こういう考え方を僕がしているのは、自分が、自分に対して、あるいは他者への暴力が酷かった時期が長くあるのでわかる。(我ながら恥ずかしい…)
結局、なぜ手を挙げるかって、話し合い(言葉)で解決する力がないからだと思うんだよね。
それは、ジャイアンがのび太をいじめるような話だけではなく、先生や親から子への教育・しつけに関しても、全く同様のことが言えると思う。
子供の立場になってみて欲しいんだよ。
わかるように教えてくれたら、たとえその時は納得ができなくても時間をかけてでも理解していこうといつか思える。
しかし、「殴られた」「叩かれた」という事実ができてしまったら、「殴られる(叩かれる)からこういうことはしちゃ駄目なんだ」っていう考え方にならない?
そうして、殴られない(叩かれない)ために、大人に媚びるようになっていくのだ。
大人が思っている以上に、子供には大人が(文字通り)大きく、怖く見えるもの。
殴られた(叩かれた)時のその痛みの強さよりも、そうしてくる直前の大人の表情や素振りに、子供は怯えていると思うのだ。
果たしてこれは教育・しつけだろうか?
教育だとかしつけだとか愛のムチだとかいう言葉で正当化した「暴力」に他ならない、と僕は思う。
そういった暴力を正当化する人達(主に中高年?)が口を揃えて言う言葉が、「私達(昔)は大人達にそうされて育ってきた」。
はてさて……それが暴力を正当化する理由になるのか?
自分達が大人にされてきたことの二の舞を演じてどうするのだろう。
大人達はいつまで、「教育」「しつけ」とか「あなたのため」とかいう言葉を笠に着て、子供をほしいままにし、子供達を苦しめるのだろう?
それに、そういう(暴力が正当化される)教育のもとで育ってきたのが「私達(昔)は大人達にそうされて育ってきた」と主張する中高年であるなら、「あ…。暴力では結局こういう浅はかな考えを持つ人しか育たないのね。だから全く意味を成さない」とわかるよね。
もちろん、そんな僕も、子供の頃に心から感謝できる大人はたくさんいた。
僕独りじゃ当然生きられないし、そんな僕をいろんな形で支えてくれた大人達には本当に感謝している。
ただ…中には、意識的にも無意識的にも、子供は大人の掌中にあって当然、と考えている大人もいるからね。
大人はそんなに偉くない。
子供の方が正しい主張や、偉いと言える行動に及んでいることはいくつもある。
子供と違い、経済力を握っているだけで、子供よりも自分(大人)の方が勝っている、だから子供には逆らわせない、という考え方を持つ人は少なくない気がする…。
大人だって子供と同じ、毎日が勉強なんだよね。
子供に教わることだってあるよ。
そうやって同じ未熟な人間同士で生きているのに、どうしてここまで上下関係をはっきりさせようとするのだろう…大人は。
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