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配慮と遠慮の取り違い?まだまだ認知度低 発達障害
2018/10/27
今日は少し暑かった。
昨晩や今朝も、あまり冷えなかった気がする…。
だから終日、半袖で過ごした。



僕は広汎性発達障害(ASD)。
しかし、母からは決して甘やかされずに育ってきた。

ウチの母方の祖父も発達障害(ASD)。
彼はかなり甘やかされて育ってきたようで、とてもワガママだ。

母いわく、彼の父親が死に際に放った言葉が、「育て方を間違えた」だったという。
そんなことを死に際に言われて、あんたは死ぬから良いけど、残された人達はどうすれば良いんだ…とね。


発達障害者への配慮というものを、大きく取り違えている人も多い。
「配慮する」ことと、「甘やかす」ことを混同している人が、一定数いるように感じる。
これは、配慮される側・する側の両方にね。

僕らは別に、甘やかして欲しいわけじゃない。
ただ、障害特性があるが故に、社会で生きづらい部分があることを知って欲しいだけ。

しかし誰しも、生きづらさというものは抱えているものだ。
それはわかっているから、特別な配慮は僕は求めているつもりはない。
結局、どんなに苦しくても、自分から社会に馴染もうとしていかないとどうしようもないからね。


発達障害者への配慮は進まない部分もある一方で、一部の発達障害者は配慮され過ぎて(甘やかされ過ぎて)、自分からは進んで社会に馴染もうと努力せず、人に考えてもらったり頼ったりすることが当たり前だと思う人もいるように思う。
これは、配慮「する」側も同様で、一応「障害」者である以上、慎重に扱わなきゃ世間からバッシングを受けるかもしれない。
そんな危惧を抱いているので、「甘やかす」くらいの配慮をせざるを得ないのだろう…。


発達障害というのは、生まれつきの脳の特性が、健常者と少し違うだけ。
適切な(程々の)配慮があれば、後は本人の努力次第で必ず乗り切っていける。

あまり発達障害者を、腫れ物に触るような目で見ないで欲しい…。
今の時代、そんなに特別な障害でもないだろう。
だからこの社会も、「『配慮』はするが『遠慮』はしない」という姿勢を徹底して、僕らと向き合って欲しいな。
僕らは別に、甘やかされて生きたいわけではないのです……。


以上、ィヨロシク!!


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