ハマり続けたワナ…自縄自縛は身を滅ぼす!? 2017/02/14 21:07
今日の日記をもうひとつ。「唐突に何言ってんの!?」と思われるようなことを書くぞ(笑)。
最近になって、僕が自分で、精神的に楽になったなぁと思う理由のひとつとして、気付いたこと。単純なことなのだが、ずーっと自分で気付けなかったことだ。だけどもそれが、無意識にできるようになってきていた。
自分で自分のことを受け入れること。許すこと。それが自分なんだ。他でもない、世界に1人だけの自分なんだ、と思うこと。
僕が精神的にグッと楽になってからと、なる前の差はここにあった。
例えば、以前の僕は、精神的に追い詰められ、発狂したり、自傷・他傷したりと、周りに迷惑をかけるようなことをした時やその後に、強い罪悪感に襲われていた。もちろん、「反省」の意味では必要なことだ。
しかし、「そんな自分が大嫌い!」になっていたんだよね。だけどもその自分の弱さからどうしても抜け出せない…。だから過ちを犯す度に、後悔して反省して、と行ったり来たりだった。
それをかなり長きに渡り続けていたが、自分で今やるべきことに気付くようになり、そうやって自分に酔っている暇もなくなってくると、「反省」する以上には自分を追い詰めることがなくなった。必要以上に、「自分が悪い!」と、自責することがグンと減っていったのだ。
これは凄く大きかったよ。
「自責」というものが、どれほど自分を追い詰めていたか…。ただでさえ、過ちを犯した、その行為そのもので周りから責められるのに(これは当然だけどね)、それに加えて自分で自分をさらに責めて、まさに泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目という奴だ。
この自分で自分の首を絞めることを、徐々にやめられるようになってから、楽になったなぁと。
それができるようになったのはごく最近。就活のおかげかもしれない。
就活って、何社、何十社と受けて、不採用通知メールが大量に来ても、へこたれている暇はない。何度も立ち上がって、次へ、次へと進まなきゃいけない。「そうしなきゃいけない」このスパルタ方式(笑)が、僕をグッと強くしたんだと思う。
自分の欠点を補ったり、少しずつ良くしたりすることは間違いなく大切なことだ。
しかし、だからと言ってそれは蛇蝎のように忌み嫌わなきゃいけないようなものではない。むしろ、「それも自分のイチブ」として受け入れてやらないと、自分がかわいそうだな、って思うようになった。
欠点をなぜ直さなきゃいけないかって、生きていくことは、人と人との関係でできている部分が大きいから。その中で、目に余る欠点があれば、周りに迷惑をかけてしまうことになる。だから、改善していかなきゃいけないもの…なんだと思う。
もちろん、欠点を改善することは自己の成長にも繋がるわけだけども、それは社会に「順応」していかなきゃいけないから、という側面もある。もっと平たく言えば、「自分を殺す」ということをしなきゃいけないのだ。ある程度はそうしなきゃ、社会に順応できないから。
そんなどうにもならない社会で生きているのだから、自分を守るために、自分を変えることをする…。だけども、変わる前の自分だって自分だし、それは自分しか愛せないのだから、自分だけはそんな自分のことを愛してやる…。
社会で生きていくにあたってはそこに馴染むのも大切なことだけど、自分の人生は自分だけのもので、主役は自分だ。一方で、他人にとっては、「自分」は腐るほどいる社会の人間の1人でしかない。だから、「自分だけは自分のことを大切にしてやる」ことは、物凄く大切なことなのだと感じた。
――自分を責め続けたせいでその罠にハマり続けた、「takumiしくじり先生」の言葉でした(笑)。
以上、ィヨロシク!!
今日の日記をもうひとつ。
「唐突に何言ってんの!?」と思われるようなことを書くぞ(笑)。
最近になって、僕が自分で、精神的に楽になったなぁと思う理由のひとつとして、気付いたこと。
単純なことなのだが、ずーっと自分で気付けなかったことだ。
だけどもそれが、無意識にできるようになってきていた。
自分で自分のことを受け入れること。許すこと。
それが自分なんだ。他でもない、世界に1人だけの自分なんだ、と思うこと。
僕が精神的にグッと楽になってからと、なる前の差はここにあった。
例えば、以前の僕は、精神的に追い詰められ、発狂したり、自傷・他傷したりと、周りに迷惑をかけるようなことをした時やその後に、強い罪悪感に襲われていた。
もちろん、「反省」の意味では必要なことだ。
しかし、「そんな自分が大嫌い!」になっていたんだよね。
だけどもその自分の弱さからどうしても抜け出せない…。
だから過ちを犯す度に、後悔して反省して、と行ったり来たりだった。
それをかなり長きに渡り続けていたが、自分で今やるべきことに気付くようになり、そうやって自分に酔っている暇もなくなってくると、「反省」する以上には自分を追い詰めることがなくなった。
必要以上に、「自分が悪い!」と、自責することがグンと減っていったのだ。
これは凄く大きかったよ。
「自責」というものが、どれほど自分を追い詰めていたか…。
ただでさえ、過ちを犯した、その行為そのもので周りから責められるのに(これは当然だけどね)、それに加えて自分で自分をさらに責めて、まさに泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目という奴だ。
この自分で自分の首を絞めることを、徐々にやめられるようになってから、楽になったなぁと。
それができるようになったのはごく最近。就活のおかげかもしれない。
就活って、何社、何十社と受けて、不採用通知メールが大量に来ても、へこたれている暇はない。
何度も立ち上がって、次へ、次へと進まなきゃいけない。
「そうしなきゃいけない」このスパルタ方式(笑)が、僕をグッと強くしたんだと思う。
自分の欠点を補ったり、少しずつ良くしたりすることは間違いなく大切なことだ。
しかし、だからと言ってそれは蛇蝎のように忌み嫌わなきゃいけないようなものではない。
むしろ、「それも自分のイチブ」として受け入れてやらないと、自分がかわいそうだな、って思うようになった。
欠点をなぜ直さなきゃいけないかって、生きていくことは、人と人との関係でできている部分が大きいから。
その中で、目に余る欠点があれば、周りに迷惑をかけてしまうことになる。
だから、改善していかなきゃいけないもの…なんだと思う。
もちろん、欠点を改善することは自己の成長にも繋がるわけだけども、それは社会に「順応」していかなきゃいけないから、という側面もある。
もっと平たく言えば、「自分を殺す」ということをしなきゃいけないのだ。
ある程度はそうしなきゃ、社会に順応できないから。
そんなどうにもならない社会で生きているのだから、自分を守るために、自分を変えることをする…。
だけども、変わる前の自分だって自分だし、それは自分しか愛せないのだから、自分だけはそんな自分のことを愛してやる…。
社会で生きていくにあたってはそこに馴染むのも大切なことだけど、自分の人生は自分だけのもので、主役は自分だ。
一方で、他人にとっては、「自分」は腐るほどいる社会の人間の1人でしかない。
だから、「自分だけは自分のことを大切にしてやる」ことは、物凄く大切なことなのだと感じた。
――自分を責め続けたせいでその罠にハマり続けた、「takumiしくじり先生」の言葉でした(笑)。
以上、ィヨロシク!!
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