なぜ分かれた?同じ人間同士 恐れあう悲しさ 2017/02/03 17:26
今日、節分だってね。昨日だと思っていた…。昔だったらこういう行事のある日は当たり前のように覚えていたのに、今の年になればもう無関係。どころか、記念日とか行事のある日なんてのは商売のためにあるようなモノ、とひねくれた考え方をするようになって、あまり嬉しくなくなった…。
それから、数日前に始めたアフィリエイト。皆さんのご協力のおかげで(クリックありがとう!)、早くも収益が出つつある。駄菓子屋に行けば、一番安いお菓子が1つ買えるだろう(笑)。
――精神的不調、少しずつ回復の方向に向かってきた。
ただ、こんな今だからこそ、慎重になっている。食欲が戻りかけているからね。何のことかって、これまで食欲なかったのに、ここでガッと食べたら、体重は間違いなくリバウンドしてしまう。
この不調のおかげで落とせた4kg。意地でもキープするぞ。
…とはいえ、本調子でないのは確かだ。昨晩は一睡もできなかったからね。それに慣れつつあるのが怖い(笑)。
眠たくて眠たくて仕方がなかったから横になって目を閉じていたのに、眠りには就けなかった…。これまでの経験上、1時間くらいかかっても入眠できない時は、だいたいその後も寝られず徹夜する羽目になっている。もっと気持ち良く寝たいものだ…。精神的不調だから寝られない…というよりも、寝られないことが精神的不調を引き起こしているような気もする。(どっちも同じか…)
こういうふうになると考えるけど、ホント、精神障害と発達障害をひっくるめて「精神障害」とまとめて呼ぶのはやめてもらいたい。精神が異常をきたしている状態や、その病気の人と、生まれつきの脳の障害がある人が、なぜ同じ枠の中に入るのだろう?↑昨晩Twitterに上げた画像
確かにその脳の障害が故に、他の人とは違う生きづらさがあったり、(健常者から見たら)気難しさがあったりすることは大いにあるけど、それは必ずしも精神障害へと直結するものではない。
今年度、何社も何十社も選考に進む中で、障害者枠も受けてきたけども、どの障害か選ぶ欄に、「身体・知的・精神」しかないのを見る度に腹を立ててきた。その時は「その他」が大抵あるのでそこに丸をし、詳細の欄に「発達」と記入していたくらい。
ここだけは死んでも譲れない。僕は精神障害ではない。ここを無理に精神に丸を付けるようなことは僕にはできないし、そこまで自分を傷付け、捨てるくらいなら、自分守ること最優先に、働くことなどしないわ。
今後生きる中で、それになるようなことがあったとしても、少なくとも、持っているものは発達障害(生まれつきの脳の障害)だ。精神に異常をきたしている人と一緒にされるのは心外過ぎる。
実際、この「精神障害」とひとくくりにしていることも、発達障害者が偏見の目で見られる一因になっていると思うんだよ。精神障害、というと、一般の多くの人には気が違った人しか出てこないだろうし、発達障害もそこに包摂される今の考え方があれば、そりゃあ発達障害を知らない人間は、「発達障害者もキチガイなんだ」と認識するよね。
この考え方を変えられない、というのであれば、知的障害の人達だって、精神障害の中にひっくるめるべきなのでは?と思う。知的障害って、「精神遅滞」や「知恵遅れ」などといった言葉がかつて使われていたくらいだから、(認知はされているものの)かなり偏見に満ちた目で見られている。ここで、精神障害者と発達障害者だけをひとくくりにして、知的障害者を別に扱うのは、差別的だとしか思えないんだよ。
…たぶんここまで読んでくれた人、「うっわー、めんどくせぇ奴だな、こいつ…」と思っただろう。
だけど本来、(実際にどうにかできるかは別として)それを真剣に考えられない人達は全て、「多様性」など語(騙)る資格はないのだ。それを真剣に考える人達の願いがどうしてか叶わず、なぜか考えていない人達の意思や主張がまかり通ってしまい、生み出されたのが、この残酷で不条理な結果だと、僕は認識しているからね。当然、これは障害だけに限った話ではない。
昔から人間がもっと強くて、誰も彼も、全ての人が「同じ人間同士じゃないか!」と言い合えたらこんなこと考えずに済んだんだろう。だけど…皆、自分とは違うものを自分とは違う世界に分けたがる…。それは今に始まったことではなく、大昔からあったであろう人間の弱さだ。偉そうに話している僕だって、自分とは違う世界に隔絶したい人間はいっぱいいる(苦笑)。
以上、ィヨロシク。
今日、節分だってね。
昨日だと思っていた…。
昔だったらこういう行事のある日は当たり前のように覚えていたのに、今の年になればもう無関係。
どころか、記念日とか行事のある日なんてのは商売のためにあるようなモノ、とひねくれた考え方をするようになって、あまり嬉しくなくなった…。
それから、数日前に始めたアフィリエイト。
皆さんのご協力のおかげで(クリックありがとう!)、早くも収益が出つつある。
駄菓子屋に行けば、一番安いお菓子が1つ買えるだろう(笑)。
ただ、こんな今だからこそ、慎重になっている。
食欲が戻りかけているからね。
何のことかって、これまで食欲なかったのに、ここでガッと食べたら、体重は間違いなくリバウンドしてしまう。
この不調のおかげで落とせた4kg。意地でもキープするぞ。
…とはいえ、本調子でないのは確かだ。
昨晩は一睡もできなかったからね。
それに慣れつつあるのが怖い(笑)。
眠たくて眠たくて仕方がなかったから横になって目を閉じていたのに、眠りには就けなかった…。
これまでの経験上、1時間くらいかかっても入眠できない時は、だいたいその後も寝られず徹夜する羽目になっている。
もっと気持ち良く寝たいものだ…。
精神的不調だから寝られない…というよりも、寝られないことが精神的不調を引き起こしているような気もする。(どっちも同じか…)
こういうふうになると考えるけど、ホント、精神障害と発達障害をひっくるめて「精神障害」とまとめて呼ぶのはやめてもらいたい。
精神が異常をきたしている状態や、その病気の人と、生まれつきの脳の障害がある人が、なぜ同じ枠の中に入るのだろう?
↑昨晩Twitterに上げた画像
確かにその脳の障害が故に、他の人とは違う生きづらさがあったり、(健常者から見たら)気難しさがあったりすることは大いにあるけど、それは必ずしも精神障害へと直結するものではない。
今年度、何社も何十社も選考に進む中で、障害者枠も受けてきたけども、どの障害か選ぶ欄に、「身体・知的・精神」しかないのを見る度に腹を立ててきた。
その時は「その他」が大抵あるのでそこに丸をし、詳細の欄に「発達」と記入していたくらい。
ここだけは死んでも譲れない。僕は精神障害ではない。
ここを無理に精神に丸を付けるようなことは僕にはできないし、そこまで自分を傷付け、捨てるくらいなら、自分守ること最優先に、働くことなどしないわ。
今後生きる中で、それになるようなことがあったとしても、少なくとも、持っているものは発達障害(生まれつきの脳の障害)だ。精神に異常をきたしている人と一緒にされるのは心外過ぎる。
実際、この「精神障害」とひとくくりにしていることも、発達障害者が偏見の目で見られる一因になっていると思うんだよ。
精神障害、というと、一般の多くの人には気が違った人しか出てこないだろうし、発達障害もそこに包摂される今の考え方があれば、そりゃあ発達障害を知らない人間は、「発達障害者もキチガイなんだ」と認識するよね。
この考え方を変えられない、というのであれば、知的障害の人達だって、精神障害の中にひっくるめるべきなのでは?と思う。
知的障害って、「精神遅滞」や「知恵遅れ」などといった言葉がかつて使われていたくらいだから、(認知はされているものの)かなり偏見に満ちた目で見られている。
ここで、精神障害者と発達障害者だけをひとくくりにして、知的障害者を別に扱うのは、差別的だとしか思えないんだよ。
…たぶんここまで読んでくれた人、「うっわー、めんどくせぇ奴だな、こいつ…」と思っただろう。
だけど本来、(実際にどうにかできるかは別として)それを真剣に考えられない人達は全て、「多様性」など語(騙)る資格はないのだ。
それを真剣に考える人達の願いがどうしてか叶わず、なぜか考えていない人達の意思や主張がまかり通ってしまい、生み出されたのが、この残酷で不条理な結果だと、僕は認識しているからね。
当然、これは障害だけに限った話ではない。
昔から人間がもっと強くて、誰も彼も、全ての人が「同じ人間同士じゃないか!」と言い合えたらこんなこと考えずに済んだんだろう。
だけど…皆、自分とは違うものを自分とは違う世界に分けたがる…。それは今に始まったことではなく、大昔からあったであろう人間の弱さだ。
偉そうに話している僕だって、自分とは違う世界に隔絶したい人間はいっぱいいる(苦笑)。
以上、ィヨロシク。
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