学参フォントは必要なのか? 2016/01/23(Sat)
何とな~くブログで語ろうかな、と思ってて、ずっと語ってなかったこと。
「学参フォントは必要なのか?」
この話を少し。

▲このように、活字然とした字形を、より学校で教えやすい教科書体の形に近づけたのが学参フォント(上の画像はモリサワフォントの新ゴ・リュウミンとその学参フォント)。
モリサワ(こちら)では、次のように説明されている。
常用漢字・かなについて、文部科学省の「学習指導要領」にある「代表的な字形」に準拠したフォントです。
通常、書体によって異なる「はね」「押さえ」「とめ」なども共通のデザインになっているため、教科書や学習参考書、絵本、子ども向け出版物や玩具などの文字にも適しています。
学参フォントのもっとも顕著な特徴は、普段書く文字とできるだけ同じ形になるように設計されていることです。 手書きの文字と印刷の文字との差異をなくし、視覚的に筆画がわかりやすいデザインにすることで、教育の現場に適した書体設計になっています。
実際にこの学参フォントは、子供向けの絵本とか参考書とかで時々使われているのを見かける。
教科書・参考書ではより一般的な教科書体同様に、子供に字を教える教職員にとっては、すごく都合の良いフォントだなあと思う。
文字を教える時に僕が理想的だと思うのは、学校でもあらかじめ活字の字形と手書き(楷書)の字形の違いを教えること。
活字は手書きとは違うルールでデザインされているから、学参フォントのように、活字の特性を持っていながら真似して書けば手書きになる、なんてことは本来ありえないはずなんだよ。
まぁ学参フォントでは、それを無理やり作ったわけだけどね。
学参フォントは、活字と手書きの違いを教えることから逃げた結果ではないだろうか?
上の画像の「衣」の例なら、4画目の下の「ハネ」を活字の真似して2画で書く人もたまにいるから、学参も手書きに近付けようとしたのだろうけど、そもそも活字と手書きの字形が違うということは、基本として理解しておくべきことなのだ。
ただ、僕は明朝体や教科書体(特に後者)が昔から苦手だ。
理由は、ゴシック体よりも文字が細く見えて読みづらく、目で追えないから。
識字障害などではなく、発達障害の人間には、わりとそのようなことがありがちなよう。
だから昔はテストとかで、文章題でこのフォントが使われていると、文章がちゃんと追えず、ちゃんと読むことすらできずに失点してしまうこともあった(汗
(教科書体が苦手な理由は、明朝体が中途半端に手書きに近付いたものだから、とか他にもあるんだけど、今回はその話は置いておこう。)
そのような点を考えると、学参フォントは否定しきれない部分もあるんだよ。
僕のような教科書体が目で追えない人間に、見たままの字を書けば良いんだよ、と教えるならば、学参のゴシック体や丸ゴシック体を使ってくれると、覚えやすいというのはあると思う。
そのような人間の特性を知り、配慮して使うなら、別に否定はしない。
何より問題なのは、UDフォントについて述べた記事でも挙げたように、このような特殊なフォントの特性を知らずに使うことだ。
プロのデザイナーでも、『新ゴ』と『学参新ゴ』の違いがわからず、本来新ゴのような一般的なゴシック体を選ぶべき場面で、後者を選んでしまう人もいるようで。
たま~に「何でこの場面で学参フォント!?」って使用例が実際にあるんだよね。
基本的に学参フォントもUDフォントも、一般的なゴシック体・明朝体とは全く異なるコンセプトで作られていて、しかも元になったゴシック体・明朝体などのフォントよりはクオリティは低いもの、という認識をしっかり持つべきだろう。
もちろん、そんなフォントの特性を知っていて、なおかつそれがデザインで必要だとわかって使うなら良いだろうけどね。
時代が変われば、フォントだってパッと見のデザインだけでなく、コンセプトまで異なるものが出てくるのは当然だろう。
予想は難しいが、今後も変わったコンセプトのフォントは出てきてもおかしくない。
何も知らずに、何も考えずに使うことが一番問題なんだよね。
そしてその「問題」では?と思うことを、知らず知らずにやっちゃうデザイナーが意外と多い気がするのも…事実。
以上、ィヨロシク!!
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何とな~くブログで語ろうかな、と思ってて、ずっと語ってなかったこと。
「学参フォントは必要なのか?」
この話を少し。

▲このように、活字然とした字形を、より学校で教えやすい教科書体の形に近づけたのが学参フォント(上の画像はモリサワフォントの新ゴ・リュウミンとその学参フォント)。
モリサワ(こちら)では、次のように説明されている。
常用漢字・かなについて、文部科学省の「学習指導要領」にある「代表的な字形」に準拠したフォントです。
通常、書体によって異なる「はね」「押さえ」「とめ」なども共通のデザインになっているため、教科書や学習参考書、絵本、子ども向け出版物や玩具などの文字にも適しています。
学参フォントのもっとも顕著な特徴は、普段書く文字とできるだけ同じ形になるように設計されていることです。 手書きの文字と印刷の文字との差異をなくし、視覚的に筆画がわかりやすいデザインにすることで、教育の現場に適した書体設計になっています。
実際にこの学参フォントは、子供向けの絵本とか参考書とかで時々使われているのを見かける。
教科書・参考書ではより一般的な教科書体同様に、子供に字を教える教職員にとっては、すごく都合の良いフォントだなあと思う。
文字を教える時に僕が理想的だと思うのは、学校でもあらかじめ活字の字形と手書き(楷書)の字形の違いを教えること。
活字は手書きとは違うルールでデザインされているから、学参フォントのように、活字の特性を持っていながら真似して書けば手書きになる、なんてことは本来ありえないはずなんだよ。
まぁ学参フォントでは、それを無理やり作ったわけだけどね。
学参フォントは、活字と手書きの違いを教えることから逃げた結果ではないだろうか?
上の画像の「衣」の例なら、4画目の下の「ハネ」を活字の真似して2画で書く人もたまにいるから、学参も手書きに近付けようとしたのだろうけど、そもそも活字と手書きの字形が違うということは、基本として理解しておくべきことなのだ。
ただ、僕は明朝体や教科書体(特に後者)が昔から苦手だ。
理由は、ゴシック体よりも文字が細く見えて読みづらく、目で追えないから。
識字障害などではなく、発達障害の人間には、わりとそのようなことがありがちなよう。
だから昔はテストとかで、文章題でこのフォントが使われていると、文章がちゃんと追えず、ちゃんと読むことすらできずに失点してしまうこともあった(汗
(教科書体が苦手な理由は、明朝体が中途半端に手書きに近付いたものだから、とか他にもあるんだけど、今回はその話は置いておこう。)
そのような点を考えると、学参フォントは否定しきれない部分もあるんだよ。
僕のような教科書体が目で追えない人間に、見たままの字を書けば良いんだよ、と教えるならば、学参のゴシック体や丸ゴシック体を使ってくれると、覚えやすいというのはあると思う。
そのような人間の特性を知り、配慮して使うなら、別に否定はしない。
何より問題なのは、UDフォントについて述べた記事でも挙げたように、このような特殊なフォントの特性を知らずに使うことだ。
プロのデザイナーでも、『新ゴ』と『学参新ゴ』の違いがわからず、本来新ゴのような一般的なゴシック体を選ぶべき場面で、後者を選んでしまう人もいるようで。
たま~に「何でこの場面で学参フォント!?」って使用例が実際にあるんだよね。
基本的に学参フォントもUDフォントも、一般的なゴシック体・明朝体とは全く異なるコンセプトで作られていて、しかも元になったゴシック体・明朝体などのフォントよりはクオリティは低いもの、という認識をしっかり持つべきだろう。
もちろん、そんなフォントの特性を知っていて、なおかつそれがデザインで必要だとわかって使うなら良いだろうけどね。
時代が変われば、フォントだってパッと見のデザインだけでなく、コンセプトまで異なるものが出てくるのは当然だろう。
予想は難しいが、今後も変わったコンセプトのフォントは出てきてもおかしくない。
何も知らずに、何も考えずに使うことが一番問題なんだよね。
そしてその「問題」では?と思うことを、知らず知らずにやっちゃうデザイナーが意外と多い気がするのも…事実。
以上、ィヨロシク!!
「学参フォントは必要なのか?」
この話を少し。

▲このように、活字然とした字形を、より学校で教えやすい教科書体の形に近づけたのが学参フォント(上の画像はモリサワフォントの新ゴ・リュウミンとその学参フォント)。
モリサワ(こちら)では、次のように説明されている。
常用漢字・かなについて、文部科学省の「学習指導要領」にある「代表的な字形」に準拠したフォントです。
通常、書体によって異なる「はね」「押さえ」「とめ」なども共通のデザインになっているため、教科書や学習参考書、絵本、子ども向け出版物や玩具などの文字にも適しています。
学参フォントのもっとも顕著な特徴は、普段書く文字とできるだけ同じ形になるように設計されていることです。 手書きの文字と印刷の文字との差異をなくし、視覚的に筆画がわかりやすいデザインにすることで、教育の現場に適した書体設計になっています。
実際にこの学参フォントは、子供向けの絵本とか参考書とかで時々使われているのを見かける。
教科書・参考書ではより一般的な教科書体同様に、子供に字を教える教職員にとっては、すごく都合の良いフォントだなあと思う。
文字を教える時に僕が理想的だと思うのは、学校でもあらかじめ活字の字形と手書き(楷書)の字形の違いを教えること。
活字は手書きとは違うルールでデザインされているから、学参フォントのように、活字の特性を持っていながら真似して書けば手書きになる、なんてことは本来ありえないはずなんだよ。
まぁ学参フォントでは、それを無理やり作ったわけだけどね。
学参フォントは、活字と手書きの違いを教えることから逃げた結果ではないだろうか?
上の画像の「衣」の例なら、4画目の下の「ハネ」を活字の真似して2画で書く人もたまにいるから、学参も手書きに近付けようとしたのだろうけど、そもそも活字と手書きの字形が違うということは、基本として理解しておくべきことなのだ。
ただ、僕は明朝体や教科書体(特に後者)が昔から苦手だ。
理由は、ゴシック体よりも文字が細く見えて読みづらく、目で追えないから。
識字障害などではなく、発達障害の人間には、わりとそのようなことがありがちなよう。
だから昔はテストとかで、文章題でこのフォントが使われていると、文章がちゃんと追えず、ちゃんと読むことすらできずに失点してしまうこともあった(汗
(教科書体が苦手な理由は、明朝体が中途半端に手書きに近付いたものだから、とか他にもあるんだけど、今回はその話は置いておこう。)
そのような点を考えると、学参フォントは否定しきれない部分もあるんだよ。
僕のような教科書体が目で追えない人間に、見たままの字を書けば良いんだよ、と教えるならば、学参のゴシック体や丸ゴシック体を使ってくれると、覚えやすいというのはあると思う。
そのような人間の特性を知り、配慮して使うなら、別に否定はしない。
何より問題なのは、UDフォントについて述べた記事でも挙げたように、このような特殊なフォントの特性を知らずに使うことだ。
プロのデザイナーでも、『新ゴ』と『学参新ゴ』の違いがわからず、本来新ゴのような一般的なゴシック体を選ぶべき場面で、後者を選んでしまう人もいるようで。
たま~に「何でこの場面で学参フォント!?」って使用例が実際にあるんだよね。
基本的に学参フォントもUDフォントも、一般的なゴシック体・明朝体とは全く異なるコンセプトで作られていて、しかも元になったゴシック体・明朝体などのフォントよりはクオリティは低いもの、という認識をしっかり持つべきだろう。
もちろん、そんなフォントの特性を知っていて、なおかつそれがデザインで必要だとわかって使うなら良いだろうけどね。
時代が変われば、フォントだってパッと見のデザインだけでなく、コンセプトまで異なるものが出てくるのは当然だろう。
予想は難しいが、今後も変わったコンセプトのフォントは出てきてもおかしくない。
何も知らずに、何も考えずに使うことが一番問題なんだよね。
そしてその「問題」では?と思うことを、知らず知らずにやっちゃうデザイナーが意外と多い気がするのも…事実。
以上、ィヨロシク!!
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