Put a wish as only one 良い1年の予感 ありがとう友よ 2022/01/01(Sat)
昨晩は例年みたいにガキ使も無かったし、代わりになる番組も少し見たがあまり面白くなかったので見なかった…。代わりに、dアニメストアでずっとチェックできてなかった『東京リベンジャーズ』を見ていた。
年が明けてすぐに学生時代からの友達に「あけおめ」とLINEした。そのうちの1人(沖縄に住んでいる子)は、なんと相手から送ってきてくれていたのだ。
「いつも(takumi)の方からLINEしてきてくれてありがとう」とメッセージを添えてくれていた。彼の言う通り、僕からしかほぼLINEは送らないのだが、数年前に大地震で被災した際に揺れが収まって2分と経たないうちに「地震大丈夫か?」とすぐにLINEをくれたのは彼だったのだ。彼は沖縄に住んでいるので大阪で起きた揺れは感じなかったはずだし、ネットかテレビかで速報を見て、瞬時にスマホ握って送ってくれたんだろうな…。正直それまで、彼に対しては「何で自分からはLINE送ってこないんだろ…」と思うこともあったが、地震で物が大量に落ちてくるし、食器棚のガラスは派手に割れて棚の扉も開いて皿やグラスが辺りに散ってバラバラになるし、落ちてきたものが頭に突撃するし(コブができた程度で済んだ)で、半ば放心状態になりながらも慌てて泣きながらトイレに逃げてた時だったから、LINE見て違う意味でまた泣いたよ…。自分から送るとか送らないとか、そんなツマラナイことで友達関係って決まらないんだな、と…。いざという時、当たり前のように誰かのことが浮かぶ、あるいは何事も無い時でも折に触れて誰かのことが思い浮かぶって、本当にすごいことなんだなと今は解る。
『宇宙よりも遠い場所 』でも、キマリが「友達ってたぶん、ひらがな1文字だ!」と言っていたのを思い出す。意味不明なようで、いやいやとんでもない、めっちゃわかりみ深いよ。
人の気持ちってアレコレ言葉にしても伝わらないものだし言葉にしなきゃ伝わらないことも確かにあるけど、いちいち言葉にせずとも伝わることがある、その関係ってすごいし、尊いものだよね。ポケモンの映画『セレビィ 時を超えた遭遇 』でも、まさに終盤でサトシが時を超えた“であい”を果たすシーンで、「本当の友情は、どんなに時が流れても決して消えはしない」というオーキド博士 のことば……。あれは大人になってから見て、年明けてからそのパートを再度見ていたんだけど、そのセリフが流れる前に思い出して涙腺崩壊したよ(´;ω;`)この映画は僕が小学1年の頃に上映されていて、リアルタイムで劇場には行かなかったんだけど、その後再放送をビデオに録画したりレンタルしたりで何度も何度も見たが、それでも子供の頃は全然意味が解らなかったな…。「時を超えた遭遇」とはセレビィが単に「ときわたり」を使えること、それによってサトシとユキナリが「遭遇 」したこと、くらいに思っていたんだけどね。“時を超えた遭遇”のもうひとつの(真の)意味、そしてなぜ「遭遇」をあえて「であい」と意訳したのか、思い返すだけでも涙が出てくる…。また近いうちに、最初から最後まで通して『時を超えた遭遇』を観たいと思っている…。
新年最初の昼食はサイゼリヤ
家族と出かけるついでに寄った。サイゼリヤで食べる予定は無かったが、お腹が空いて、たまたま近くに店舗を見つけたからね。
友達のおかげで、良い新年のスタートを切れた。出先でやってた何かのイベントで、「今年の願いをぜひ書いてここに貼ってください」みたいなことをやっていたので、「素敵な1年になりますように!!」と書いておいた。たったそれだけのことのようで、それほどスペシャルな望みは無いんじゃないかな。2022年、本当にスペシャルな年になりそうな予感がするよ。
それでは、今年もィヨロシク!!
(↓Twitterに投下したデジタル年賀状。ただの画像だけど)
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昨晩は例年みたいにガキ使も無かったし、代わりになる番組も少し見たがあまり面白くなかったので見なかった…。
代わりに、dアニメストアでずっとチェックできてなかった『東京リベンジャーズ』を見ていた。
年が明けてすぐに学生時代からの友達に「あけおめ」とLINEした。
そのうちの1人(沖縄に住んでいる子)は、なんと相手から送ってきてくれていたのだ。
「いつも(takumi)の方からLINEしてきてくれてありがとう」とメッセージを添えてくれていた。
彼の言う通り、僕からしかほぼLINEは送らないのだが、数年前に大地震で被災した際に揺れが収まって2分と経たないうちに「地震大丈夫か?」とすぐにLINEをくれたのは彼だったのだ。
彼は沖縄に住んでいるので大阪で起きた揺れは感じなかったはずだし、ネットかテレビかで速報を見て、瞬時にスマホ握って送ってくれたんだろうな…。
正直それまで、彼に対しては「何で自分からはLINE送ってこないんだろ…」と思うこともあったが、地震で物が大量に落ちてくるし、食器棚のガラスは派手に割れて棚の扉も開いて皿やグラスが辺りに散ってバラバラになるし、落ちてきたものが頭に突撃するし(コブができた程度で済んだ)で、半ば放心状態になりながらも慌てて泣きながらトイレに逃げてた時だったから、LINE見て違う意味でまた泣いたよ…。
自分から送るとか送らないとか、そんなツマラナイことで友達関係って決まらないんだな、と…。
いざという時、当たり前のように誰かのことが浮かぶ、あるいは何事も無い時でも折に触れて誰かのことが思い浮かぶって、本当にすごいことなんだなと今は解る。
『宇宙よりも遠い場所 』でも、キマリが「友達ってたぶん、ひらがな1文字だ!」と言っていたのを思い出す。
意味不明なようで、いやいやとんでもない、めっちゃわかりみ深いよ。
人の気持ちってアレコレ言葉にしても伝わらないものだし言葉にしなきゃ伝わらないことも確かにあるけど、いちいち言葉にせずとも伝わることがある、その関係ってすごいし、尊いものだよね。
ポケモンの映画『セレビィ 時を超えた遭遇 』でも、まさに終盤でサトシが時を超えた“であい”を果たすシーンで、「本当の友情は、どんなに時が流れても決して消えはしない」というオーキド博士 のことば……。
あれは大人になってから見て、年明けてからそのパートを再度見ていたんだけど、そのセリフが流れる前に思い出して涙腺崩壊したよ(´;ω;`)
この映画は僕が小学1年の頃に上映されていて、リアルタイムで劇場には行かなかったんだけど、その後再放送をビデオに録画したりレンタルしたりで何度も何度も見たが、それでも子供の頃は全然意味が解らなかったな…。
「時を超えた遭遇」とはセレビィが単に「ときわたり」を使えること、それによってサトシとユキナリが「遭遇 」したこと、くらいに思っていたんだけどね。
“時を超えた遭遇”のもうひとつの(真の)意味、そしてなぜ「遭遇」をあえて「であい」と意訳したのか、思い返すだけでも涙が出てくる…。
また近いうちに、最初から最後まで通して『時を超えた遭遇』を観たいと思っている…。
新年最初の昼食はサイゼリヤ
家族と出かけるついでに寄った。
サイゼリヤで食べる予定は無かったが、お腹が空いて、たまたま近くに店舗を見つけたからね。
友達のおかげで、良い新年のスタートを切れた。
出先でやってた何かのイベントで、「今年の願いをぜひ書いてここに貼ってください」みたいなことをやっていたので、「素敵な1年になりますように!!」と書いておいた。
たったそれだけのことのようで、それほどスペシャルな望みは無いんじゃないかな。
2022年、本当にスペシャルな年になりそうな予感がするよ。
それでは、今年もィヨロシク!!
(↓Twitterに投下したデジタル年賀状。ただの画像だけど)
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