Many left from TOKYO2020 早よ決めろよ東京五輪 2021/02/25
昨晩、いろいろ嫌なことがフラッシュバックして、イライラした。
次の土曜日に訪看と、また同日にカウンセラーともZoomを利用してオンライン面談をする予定なので、その時に思う存分話そうと思う。僕が抱えている闇はかなり大きいので、時間をかけて良くしていくしかないのはわかっているが、どうしても焦ってしまう。そして良くするまで次に進めないと思い、今やるべきことから逃げてしまったり。だけど直ちに解決できるわけがない問題を直視するより、それとの上手な付き合い方を考えるのが得策だとわかってきた、最近ね。
withコロナではないが、withトラウマとでもいうのか。寄り添ってくれる人を頼って、利用できる機関は躊躇なく利用して、楽になっていく手段と自分の将来とを前向きに考えていけるよう目指していこう。
そういうこともあってか昨晩はほとんど眠れず。これだけ体調が保てているのは、何だかんだで仕事や買い物などで外に出て体を程良く動かすことで生活リズムと免疫力を維持できているからだと思っている。こういう当たり前のことが単なる当たり前ではなく、弱っている時ほど免疫力の維持には重要だと思うし、「感染」対策としても大きいと思っている。
給料日なので今朝銀行でお金を下ろした後コンビニに寄ったら、いつも朝にいる店員さんが僕が買ったサラダに箸をつけてくれた。しかし会計が終わった直後に「こっちのほうが食べやすいよね…。ごめんなさいね」とスプーンに入れ替えてくれた。
Either is perfectly fine for me.I still know some would care of such a thing, though.It must be ridiculous.
僕は正しく箸を扱えるし、こだわりもないから別にどちらでも構わないのだが、箸がまともに使えない人や、ああだこうだと難癖つけてくる人もいるのだろう…。
後が支えていたのもあり、何も言わなかった。おばちゃんなんだけど、他人相手にお母さんのような接し方をする店員さんで、いろいろ気にかけてくれる良い人なんだけどね。
公式な発表がない現段階では当初予定していた通りに開催される予定の東京五輪。
そんなこと無理に決まってるのに、強行開催…ならばまだしも、偉い人がいつまでも決定を下さないので、五輪に便乗して広告を打つ(打っていた)スポンサーや観に行くつもりの(だった)人やアスリートの方々はピリピリしていることだろう…。開催されるなら無観客が妥当だろうが、それさえも決定が下らない。ボランティア活動への参加を決めていた人たちも、離れていきつつあるらしい(そりゃそうだよね)。
僕が小学2年の時の話だが、図工で友達の顔を描く課題が与えられ、顔の輪郭は予め印刷してあるのだが、目や口、鼻などのパーツをどこから描けば良いのかわからなかった。今であれば絵心があろうが無かろうがここだと思ったところからすぐ描けるが、当時はどこから描けば良いか(正解か)が存在していて、かつ上手く描けなきゃいけないものだと思っていたのだ。それがその日の5時間目の授業で、みんな描き上げたのに僕だけ描き始めることさえもできず居残りしていたのだが、当時の恩師(U先生)がずっと付き合ってくれた。しかしU先生は、「どこから描けば良い」という答えではないけどアドバイスすらも一切せず、僕に自分で決めさせようとしてじっと待っていてくれたのだ。
これはしょうもない話だが、「自分で決める」ことって本当にものすごく大事なことだな、と改めて。よくいう「他人のせいにする」人は、周りに流されて自分で決められない人だからね。U先生は僕に限らず、まだ小学2年の子どもたちにも、自分で決定させること、落ち込んだりするようなことがあっても自分で自分の身を立て直すことなど、自主性をすごく大切にしてくれていた。だから、宿題をサボっても怒ることは無かった。
五輪の話も同じで、決定する力が無い人が国をまとめ上げられるわけがない…。そのくせ、緊急事態宣言が解除された後、条件付きとはいえGoTo事業の再開に走るのは、もはやわけがわからないよ。社会の荒波に揉まれて生きていく中で、自分で自分の意思を持てず、表明できずにいることがどれほど恐いことかと、歳を取るごとに判ってきた気がする…。明確な意思があり決定することができても、それが庶民の生活を知らない馬鹿人による決定であれば本末転倒だが。
You should make up your mind on your own.No one else will be able to do it for you.
では、ィヨロシク。
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昨晩、いろいろ嫌なことがフラッシュバックして、イライラした。
次の土曜日に訪看と、また同日にカウンセラーともZoomを利用してオンライン面談をする予定なので、その時に思う存分話そうと思う。
僕が抱えている闇はかなり大きいので、時間をかけて良くしていくしかないのはわかっているが、どうしても焦ってしまう。
そして良くするまで次に進めないと思い、今やるべきことから逃げてしまったり。
だけど直ちに解決できるわけがない問題を直視するより、それとの上手な付き合い方を考えるのが得策だとわかってきた、最近ね。
withコロナではないが、withトラウマとでもいうのか。
寄り添ってくれる人を頼って、利用できる機関は躊躇なく利用して、楽になっていく手段と自分の将来とを前向きに考えていけるよう目指していこう。
そういうこともあってか昨晩はほとんど眠れず。
これだけ体調が保てているのは、何だかんだで仕事や買い物などで外に出て体を程良く動かすことで生活リズムと免疫力を維持できているからだと思っている。
こういう当たり前のことが単なる当たり前ではなく、弱っている時ほど免疫力の維持には重要だと思うし、「感染」対策としても大きいと思っている。
給料日なので今朝銀行でお金を下ろした後コンビニに寄ったら、いつも朝にいる店員さんが僕が買ったサラダに箸をつけてくれた。
しかし会計が終わった直後に「こっちのほうが食べやすいよね…。ごめんなさいね」とスプーンに入れ替えてくれた。
Either is perfectly fine for me.
I still know some would care of such a thing, though.
It must be ridiculous.
僕は正しく箸を扱えるし、こだわりもないから別にどちらでも構わないのだが、箸がまともに使えない人や、ああだこうだと難癖つけてくる人もいるのだろう…。
後が支えていたのもあり、何も言わなかった。
おばちゃんなんだけど、他人相手にお母さんのような接し方をする店員さんで、いろいろ気にかけてくれる良い人なんだけどね。
公式な発表がない現段階では当初予定していた通りに開催される予定の東京五輪。
そんなこと無理に決まってるのに、強行開催…ならばまだしも、偉い人がいつまでも決定を下さないので、五輪に便乗して広告を打つ(打っていた)スポンサーや観に行くつもりの(だった)人やアスリートの方々はピリピリしていることだろう…。
開催されるなら無観客が妥当だろうが、それさえも決定が下らない。
ボランティア活動への参加を決めていた人たちも、離れていきつつあるらしい(そりゃそうだよね)。
僕が小学2年の時の話だが、図工で友達の顔を描く課題が与えられ、顔の輪郭は予め印刷してあるのだが、目や口、鼻などのパーツをどこから描けば良いのかわからなかった。
今であれば絵心があろうが無かろうがここだと思ったところからすぐ描けるが、当時はどこから描けば良いか(正解か)が存在していて、かつ上手く描けなきゃいけないものだと思っていたのだ。
それがその日の5時間目の授業で、みんな描き上げたのに僕だけ描き始めることさえもできず居残りしていたのだが、当時の恩師(U先生)がずっと付き合ってくれた。
しかしU先生は、「どこから描けば良い」という答えではないけどアドバイスすらも一切せず、僕に自分で決めさせようとしてじっと待っていてくれたのだ。
これはしょうもない話だが、「自分で決める」ことって本当にものすごく大事なことだな、と改めて。
よくいう「他人のせいにする」人は、周りに流されて自分で決められない人だからね。
U先生は僕に限らず、まだ小学2年の子どもたちにも、自分で決定させること、落ち込んだりするようなことがあっても自分で自分の身を立て直すことなど、自主性をすごく大切にしてくれていた。
だから、宿題をサボっても怒ることは無かった。
五輪の話も同じで、決定する力が無い人が国をまとめ上げられるわけがない…。
そのくせ、緊急事態宣言が解除された後、条件付きとはいえGoTo事業の再開に走るのは、もはやわけがわからないよ。
社会の荒波に揉まれて生きていく中で、自分で自分の意思を持てず、表明できずにいることがどれほど恐いことかと、歳を取るごとに判ってきた気がする…。
明確な意思があり決定することができても、それが庶民の生活を知らない馬鹿人による決定であれば本末転倒だが。
You should make up your mind on your own.
No one else will be able to do it for you.
では、ィヨロシク。
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