He may be passed away in no time 2020/12/08
昨日は「極暖」のインナーを着ていくつもりでいたのだが、結局普通ので出かけた。仕事から帰り、夕方買い物に出かけていた際、急に足が氷のように冷たくなり、歩くのもままならない状況になった。
寒すぎると手がかじかむが、その感覚が足にきたような感じ(笑)。
自宅に帰って体温を測ったら、なんと35.7度!普段の僕の平熱が36.5〜37.0度なので、35度台は低すぎる。幼い頃は35度台の時もあったが、それなりの年齢になってから35度台なんて数値は見たことがない…。案の定(?)、昨晩は眠れた気がしないほど何度も起きたり嫌な夢を見たりで、朝から不調だったので、仕事を休んだ…。
昔からだが、自律神経のバランスが悪すぎて、不定愁訴に困っている。もう上手に付き合っていくしかないんだけども……。
仕事を休んだ代わりに、昨日母が送る用に買ってきた年賀状30枚の通信面を刷った。
もうデザインは完成していたし、例年なら送り主をいちいち書き換えたものを別に作らなきゃいけなかったが、今年は母の分だけなので、1つのデザインを30枚刷るのみで済んだ。あとは宛名の印刷もしなきゃいけないが、これはまた後日…。
それから、某所に来月初めに寄稿する現行のテーマも決定し、半分ほど書き進めた。僕はもともと文章を書くのがどちらかというと得意な方なので、自分が書きやすいテーマさえ決められれば、書き進めるのはそう難しくない。ざっくり書き終わったら、あとは読みやすく、程良い文章量になるよう推敲すればでき上がるからね。
――11月下旬にまずまずと聞いていた療養中の祖父(母方)の体調。
叔父によれば、祖父の状態はかなり悪くなっているそうだ。
…が、正直どうでもいい。自分のことで精一杯な時に、知りたくもなかった。いつの間にか亡くなっていたら、「あ、そう」くらいで済んでいたと思う。
僕が愛情をもらったのは母親だけ。父親は冷淡な人間だったから僕が小2になる頃に両親が離婚して僕は母のもとで育った。
父方の祖父母も、そんな父の親というだけあってか父方はとにかく自分の子にも孫(僕)にも無関心な人だったし、人の悪口ばかり、文句ばかりを言う人だった。そのくせ嘘は平気でつくほど自分には甘いし、人の傷つくことも(たとえ親族や子・孫相手であっても)平気で言うし…。だから、10年以上前に関わりをきっぱりと断ち、生きてるのか死んでるのかも含め、以後一切のことは知らない。
母方に関しても、件の死にかけの祖父はワガママ千万な人間で、人にはとことん無関心な人。
さくら友蔵のような祖父とは程遠い存在だ。祖母も、自分に非があっても認めず他者のことばかり責める人だったので、「おばあちゃんの思い出」に出てくるおばあちゃんに抱くのび太の心情は、僕にはわかりかねる部分が正直多い。祖父母共に、子である母のことも相当酷く扱っていたそうで、母には未だにその虐待の傷が癒えることなく残っている。
しかし今はコロナ禍で、会うことがままならない状態になっていることが、僕や母にとってはむしろ吉と出た。そこが不幸中の幸いかな…。何の思い入れのない人の死に際に会えとか、死んだら死んだで葬式に来いとか、それほど筆舌に尽くし難き屈辱もないだろう……。別に親族だからって、思い入れも何もない人の葬式になど行く必要はないと、僕は思うが。
ま、そういう心情も叔父はわかってくれている部分もあるからこそいろいろやってくれているので、とりあえず行く末を静観するくらいの気持ちでいよう。
以上、ィヨロシク。
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昨日は「極暖」のインナーを着ていくつもりでいたのだが、結局普通ので出かけた。
仕事から帰り、夕方買い物に出かけていた際、急に足が氷のように冷たくなり、歩くのもままならない状況になった。
寒すぎると手がかじかむが、その感覚が足にきたような感じ(笑)。
自宅に帰って体温を測ったら、なんと35.7度!
普段の僕の平熱が36.5〜37.0度なので、35度台は低すぎる。
幼い頃は35度台の時もあったが、それなりの年齢になってから35度台なんて数値は見たことがない…。
案の定(?)、昨晩は眠れた気がしないほど何度も起きたり嫌な夢を見たりで、朝から不調だったので、仕事を休んだ…。
昔からだが、自律神経のバランスが悪すぎて、不定愁訴に困っている。
もう上手に付き合っていくしかないんだけども……。
仕事を休んだ代わりに、昨日母が送る用に買ってきた年賀状30枚の通信面を刷った。
もうデザインは完成していたし、例年なら送り主をいちいち書き換えたものを別に作らなきゃいけなかったが、今年は母の分だけなので、1つのデザインを30枚刷るのみで済んだ。
あとは宛名の印刷もしなきゃいけないが、これはまた後日…。
それから、某所に来月初めに寄稿する現行のテーマも決定し、半分ほど書き進めた。
僕はもともと文章を書くのがどちらかというと得意な方なので、自分が書きやすいテーマさえ決められれば、書き進めるのはそう難しくない。
ざっくり書き終わったら、あとは読みやすく、程良い文章量になるよう推敲すればでき上がるからね。
――11月下旬にまずまずと聞いていた療養中の祖父(母方)の体調。
叔父によれば、祖父の状態はかなり悪くなっているそうだ。
…が、正直どうでもいい。
自分のことで精一杯な時に、知りたくもなかった。
いつの間にか亡くなっていたら、「あ、そう」くらいで済んでいたと思う。
僕が愛情をもらったのは母親だけ。
父親は冷淡な人間だったから僕が小2になる頃に両親が離婚して僕は母のもとで育った。
父方の祖父母も、そんな父の親というだけあってか父方はとにかく自分の子にも孫(僕)にも無関心な人だったし、人の悪口ばかり、文句ばかりを言う人だった。
そのくせ嘘は平気でつくほど自分には甘いし、人の傷つくことも(たとえ親族や子・孫相手であっても)平気で言うし…。
だから、10年以上前に関わりをきっぱりと断ち、生きてるのか死んでるのかも含め、以後一切のことは知らない。
母方に関しても、件の死にかけの祖父はワガママ千万な人間で、人にはとことん無関心な人。
さくら友蔵のような祖父とは程遠い存在だ。
祖母も、自分に非があっても認めず他者のことばかり責める人だったので、「おばあちゃんの思い出」に出てくるおばあちゃんに抱くのび太の心情は、僕にはわかりかねる部分が正直多い。
祖父母共に、子である母のことも相当酷く扱っていたそうで、母には未だにその虐待の傷が癒えることなく残っている。
しかし今はコロナ禍で、会うことがままならない状態になっていることが、僕や母にとってはむしろ吉と出た。
そこが不幸中の幸いかな…。
何の思い入れのない人の死に際に会えとか、死んだら死んだで葬式に来いとか、それほど筆舌に尽くし難き屈辱もないだろう……。
別に親族だからって、思い入れも何もない人の葬式になど行く必要はないと、僕は思うが。
ま、そういう心情も叔父はわかってくれている部分もあるからこそいろいろやってくれているので、とりあえず行く末を静観するくらいの気持ちでいよう。
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