Are you able to feeling good to watch them? 2020/08/24
今日は以前に休暇の申請をしていたので、仕事はお休み。
春の終わりにオカシクなった、僕のヤマハ製電動自転車のバッテリー。バッテリー残量がまだ80%以上残っているのに、突然バッテリー切れを起こしてしまう…。
もう寿命なのか、と諦めつつも、バッテリー交換もバカバカしいし、新しい自転車に買い換えようかと考えていたら、ヤマハの公式サイト内にこんなこと↓が書かれたページが…
2008年~2012年に製造された電動アシスト自転車に搭載のリチウムイオンバッテリーには一定の使用期間などに達した際、劣化が想定される為に、安全対策の一環として「バッテリーを使用出来なくするプログラム」を採用しております。
この度、バッテリーメーカーと共同で安全性を再検証した結果、当初想定した一定の使用期間経過後も安全性は確保されていることが確認できましたので、バッテリーを使用出来なくするプログラムから「長期使用のお知らせ」を表示するプログラムに書き換えいたします。「この書き換えにより、お客様のバッテリーはさらに継続してご使用」いただけます。
(引用:ヤマハ公式「【無償修理】 2008年~2012年製造 リチウムイオンバッテリープログラム書き換えについて」より)
しかも自宅近くにある自転車屋にある専用の機械で、このプログラムの書き換えとやらをやってくれるみたい(しかも5分程度で完了するとのこと)。
焦って自転車の買い替えとか処分とかしなくて良かったわ…。先にちゃんと自分で調べておいて良かった。ふ〜〜。
――今年もやっていた「24時間テレビ」。
毎年言っているけど、惰性で続けるならやらなきゃ良いのにね。
僕も歳を重ねて思うようになったが、特定の疾患や障害がある人に対して「かわいそう」と思うこと、それがいちばんむごい話だよ。だって「かわいそう」と思うということは、自分と相手で優劣をつけているということだから。
いろいろ病気とか抱えていても、前向いて生きようとしている人に水を差す権利は誰にもないわけで。その疾患故に生きづらい点を周りがサポートしてあげれば良い話だもの。
その疾患や障害と全く関係のないところまで哀れみの目で見る必要はないのだ。逆に必要以上の哀れみは、相手を人間扱いしないとも捉えられるし、かえって残酷だと僕は思う。
僕も生まれつきの障害を抱えているが、今はそんなものどうだって良いし、サポートが必要なところを除いては1人の人間として見て欲しいと思っているからね。
かくいう僕も、一時期は障害というものに甘んじて、むしろ「かわいそう」と思って欲しいとか考えていた。それが素敵な話でも何でもなく、自分の株を下げるものでしかないと解ってからは、そういうバカげた考え方はしなくなったどころか、一瞬たりとも頭をよぎることさえなくなった。
以上、ィヨロシク!!
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今日は以前に休暇の申請をしていたので、仕事はお休み。
春の終わりにオカシクなった、僕のヤマハ製電動自転車のバッテリー。
バッテリー残量がまだ80%以上残っているのに、突然バッテリー切れを起こしてしまう…。
もう寿命なのか、と諦めつつも、バッテリー交換もバカバカしいし、新しい自転車に買い換えようかと考えていたら、ヤマハの公式サイト内にこんなこと↓が書かれたページが…
2008年~2012年に製造された電動アシスト自転車に搭載のリチウムイオンバッテリーには一定の使用期間などに達した際、劣化が想定される為に、安全対策の一環として「バッテリーを使用出来なくするプログラム」を採用しております。
この度、バッテリーメーカーと共同で安全性を再検証した結果、当初想定した一定の使用期間経過後も安全性は確保されていることが確認できましたので、バッテリーを使用出来なくするプログラムから「長期使用のお知らせ」を表示するプログラムに書き換えいたします。「この書き換えにより、お客様のバッテリーはさらに継続してご使用」いただけます。
(引用:ヤマハ公式「【無償修理】 2008年~2012年製造 リチウムイオンバッテリープログラム書き換えについて」より)
しかも自宅近くにある自転車屋にある専用の機械で、このプログラムの書き換えとやらをやってくれるみたい(しかも5分程度で完了するとのこと)。
焦って自転車の買い替えとか処分とかしなくて良かったわ…。
先にちゃんと自分で調べておいて良かった。ふ〜〜。
――今年もやっていた「24時間テレビ」。
毎年言っているけど、惰性で続けるならやらなきゃ良いのにね。
僕も歳を重ねて思うようになったが、特定の疾患や障害がある人に対して「かわいそう」と思うこと、それがいちばんむごい話だよ。
だって「かわいそう」と思うということは、自分と相手で優劣をつけているということだから。
いろいろ病気とか抱えていても、前向いて生きようとしている人に水を差す権利は誰にもないわけで。
その疾患故に生きづらい点を周りがサポートしてあげれば良い話だもの。
その疾患や障害と全く関係のないところまで哀れみの目で見る必要はないのだ。
逆に必要以上の哀れみは、相手を人間扱いしないとも捉えられるし、かえって残酷だと僕は思う。
僕も生まれつきの障害を抱えているが、今はそんなものどうだって良いし、サポートが必要なところを除いては1人の人間として見て欲しいと思っているからね。
かくいう僕も、一時期は障害というものに甘んじて、むしろ「かわいそう」と思って欲しいとか考えていた。
それが素敵な話でも何でもなく、自分の株を下げるものでしかないと解ってからは、そういうバカげた考え方はしなくなったどころか、一瞬たりとも頭をよぎることさえなくなった。
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